銀山に招かれたドイツ人技師の住居として建築されたのが異人館です。現在は、院内駅舎と郷土資料館が当時の異人館を模して建てられています。
銀山で唯一の出入り口だった十分一番所跡、ドイツ人技師たちが住んでいた異人館跡、銀山最大の共葬墓地、そして明治天皇が入坑された御幸坑など、銀山の歴史を物語る史跡があります。
院内石は、古くから石材として利用されており、江戸時代から平成10年頃まで採石が行われていました。山腹が切り拓かれており、ダイナミックな景観を見ることができます。
寛永元年(1624)、秋田市の久保田城外において、寺沢村(現湯沢市横堀)に潜伏していたキリシタン信徒15名が処刑されました。北向き観音像は、処刑された信徒を見つめるように、秋田市の方向(北)を向いています。
関口石は加工に適した石材で、関口集落では古くから石材加工業が盛んでした。現在では資源量が減少し、石材としては利用されなくなりましたが、今でも13件の石材業者が軒を連ねています。
松岡鉱山は、一時は院内銀山に次ぐ有望金山として期待される程、盛況な鉱山でした。しかし、休坑と再坑を繰り返し、昭和22年の水害で休坑し、休山となりました。
休山後、土壌汚染が判明しましたが、昭和50~53年に客土工事が実施されました。さらに、この廃水処理場が建設され、排水基準を満たす処理が行われています。